『火星の遺跡』 ジェイムズ・P・ホーガンを読んだ
過去から連綿と続くテレポーテーションのジレンマと、遠隔たんぱく質操作の2本立て。
ストーリーはフリーの紛争調停人(変装、人心掌握、戦闘、科学から、考古学までなんでもござれのスゲー奴)
キーラン・セインを中心に進んでいく。舞台は火星。
SFなので、テクノロジーとか、未知との遭遇を楽しみに見ている自分ではあったのだけれど、キーランがあまりにも完璧に物事を進めていくので、ちょっと反則感。
ドラえもんの長編に出木杉をだしたらどうなってしまうのか?といった問いと非常に似ている。
まず初めに問題となるのはテレポーテーション。
地球が科学技術の中心ではなくなったこの世界では火星がベンチャー企業の中心地となっていた。
その中でも異彩を放っていたのが、ドクター、リオ・サルダ率いるクアントニックス社。
これまで多くの企業がテレポーテーションを実現させようと苦心し、その対象を原子レベルまでスキャンし、再構築しようという途方もない計算が必要となる手法を試している間に、彼らクアントニックスはDNAの情報を元に肉体を再構築することで、テレポーテーションを可能にしたのである。
ラット、チンパンジーと成功を続けてきたサルダはついに自分のテレポーテーションに成功するー
とまあこんな感じのあらすじである。
テレポーテーション元のデータをすべてスキャンして、それをテレポーテーション先で組み立てるってのはどこでもドアもそうなんじゃないか(ワームホールでつないでいる可能性も)と言われているが、ここで問題なのは自分の連続性だ。
作中でサルダはDNAにはその人物を規定する情報も入っているため、GENEだけでなく、MEMEも再構築することができるといっている。
つまり、再構築先の自分は他の誰から見てもサルダ自身であり、本人も自身をサルダと認識するという具合だ。
だが、ここに自分の連続性はない。サルダが主導するテレポーテーションのプロジェクトでは、コピー元のサルダは停滞状態でテレポーテーション元におかれる。もし、コピー先にテレポーテーションで何かが起こっても停滞状態から復活させれば問題ないという考えだ。
ん?自分二人になってない?
当然自分が二人になれば、生体情報も一緒だし、記憶も一緒だから、その先に何が起こるかって…。
まあ、ストーリーを全部話すのも興ざめなのでここまでとします。
個人的にそうだなあと感じたのは、サルダが連続性について質問を受けたときに、「1週間もたてば、人間の細胞はすべて入れ替わり、一週間前の自分とは全く違う人間になっているのに、なぜ連続性を気にするのか」といったような発言をしていたこと。
確かに、細胞は常に作り変えられているし、記憶という形で自分が自分であると思い込んでいるだけで、その実、全く(分子レベルで)違う人間になっているのはあっているんだよね。
だけど、自分が死んで、そのコピーが生きるってなると、この自分は二度と起きることないし、何も感じられないことを考えると、無理だよねってなる。僕は死にたくない。
長いこと昔から語られてきたテーマだけども、色々考えさせられる。そう考えるといいテーマなのかも。
今作はキーランの権謀術数がこの語りつくされたテーマに花を添えている感じでとても面白かった。
第二部はちょっぴりSF&考古学+キーランの人心掌握術が光るといった感じ。
ストーリーはクアントニックス事件のすぐあと。
ピラミッドや南アメリカの古代遺跡といった。人類よりもまえに来たりし文明、テクノリシク文明をめぐる物語。
ではなく、それを取り巻く人々をキーランが手の上で転がすという内容。
この中では信号を使った遠隔操作のたんぱく質合成器をふんだんに活用し、遠隔操作で、体内の色素を変容させたり、体調を変化させたりして、あたかも超常的な古代文明の呪いがあるかのように演出し、考古学的に非常に価値がある遺跡を開発のために破壊しようとする火星のメガコングロマリットのお偉いさんをおちょくりまわす…。
そんな話。
ストーリーは面白いし、難しい内容もあまりないが、SFとしてはなんだかスケールが小さい。
キーランが何でも解決してしまうので、キーランに何か感じるというよりは、ただの舞台装置みたいな感じ。なんでもできるし失敗しない。凄腕。
テレポーテーションの話はいろいろ考えさせられただけにちょっと残念ですが、一気に読めるので楽しいんだけど。
ジェイムズ・P・ホーガン、もっと読みたいですね。